東京高等裁判所 昭和52年(ケ)190号 判決 1979年5月29日
原告
キヤノン株式会社
被告
特許庁長官
上記当事者間の昭和52年(行ケ)第190号審決取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
特許庁が昭和52年10月11日、同庁昭和49年審判第9806号事件についてした審決を取消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。
第2原告の請求の原因及び主張
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和45年11月24日「電子写真クリーニング装置」の発明(以下「本件発明」という。)について特許出願をしたが、昭和49年9月6日拒絶査定があつたので、審判の請求をしたところ、特許庁は昭和52年10月11日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同月18日原告に送達された。
2 本件発明の要旨
基部をホルダに支持された弾性ブレードの先端を感光体に接触させて、そのホルダと感光体の交角φ1がクリーニング側においてφ1>π/2の関係にあるようにホルダが傾斜し、このホルダから突出して更にクリーニング側に撓むブレードと感光体との交角θ1がθ1>θ1の関係にあるように弾性ブレードを設置したことを特徴とする電子写真クリーニング装置。
3 審決理由の要点
本件発明の要旨は、前項のとおり。
これに対して、特許出願公告昭44-2034号公報(以下「第1引用例」という。)には、基部をホルダに支持された弾性ブレードの先端を感光体に接触させ、そのホルダと感光体の交角φ1がクリーニング側においてφ1<π/2の関係にあるようにホルダが傾斜している電子写真クリーニング装置が、また、実用新案出願公告昭35-17674号公報(以下「第2引用例」という。)には、基部をホルダに支持された弾性ブレードの先端を被清掃面に接触させ、このブレードと被清掃面との交角がクリーニング側においてπ/2より大きい関係にあるようにブレードが傾斜しているクリーニング装置が記載されている(なお、第2引用例にはその用法が記載されていないが、拒絶理由に同時に引用された登録実用新案第56969号を参照すればブレードが上から下に摺り動かされるものであることは明らかであり、またこのようにφ1>π/2となるクリーニング装置は周知である。例えば米国特許第2060018号明細書第6図参照)。
そこで本件発明と第1引用例記載事項とをくらべると、両者は、基部をホルダに支持された弾性ブレードの先端を感光体に接触させた電子写真クリーニング装置である点でその構成が共通するから、その差は本件発明ではホルダと感光体の交角φ1がクリーニング側においてφ1>π/2の関係にあるようにホルダが傾斜し、このホルダから突出して更にクリーニング側に撓むブレードと感光体との交角θ1がθ1>φ1の関係にあるのに対して第1引用例のものはホルダと感光体の交角φ1がクリーニング側においてφ1<π/2の関係にある点にあるものと認められる。
しかしながら、ブレードの交角がクリーニング側においてπ/2より大きいクリーニング装置が第2引用例等によつて周知である以上、これを第1引用例の電子写真クリーニング装置に単に適用してそのホルダの交角をクリーニング側においてπ/2より大きくする(すなわち第1引用例の動きを逆にする)ことは当業者が容易になし得たことと認められる。
また、ブレードに弾性体を用いれば撓みが生じ先端の交角はホルダの交角と異なることになるが(θ1<φ1かθ1>φ1)これらのいずれを選ぶかは当業者が実施に当つて適宜選択できる自明事項と認められる。
したがつて、本件発明は、第1引用例記載の電子写真クリーニング装置に第2引用例記載のクリーニング装置を適用することにより当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を得ることはできない。
4 審決を取消すべき事由
(1) 第1引用例は、原告の出願に係る電子写真クリーニング装置に関するものであるが、本件発明は第1引用例のものの欠点を除くことを目的としたものである。
第1引用例のものは、別紙第1図のように表わすことができるが、この構成においては合成抗力Rは弾性ブレードを感光体から引離す方向であるため、トナーを阻止する(掻き落す)力が弱く、トナー粒子がブレードの下に入り込むことがある。一個所入り込むと、それがブレード全長に波及する傾向があり、たびたびブレードを外して先端エツジ部を清掃する必要がある。
本件発明は、別紙第2、第3図に示すように、ホルダ3、ブレード1を感光体の移動方向と逆方向としてブレードを撓ませ、φ1>π/2、θ1>φ1の関係としたから、φ1>π/2の関係で、合成抗力Rはブレード1を感光体2に圧接させ、同時にその一部はブレードをホルダ3方向Y-Yに圧縮する方向に作用し、その反力はその圧接力の増加となる。またθ1>φ1の関係からブレード1は弧状に彎曲し、その弾性反力も上記圧接力を増強する。これらの相乗された強大な圧接力は、第1引用例の前記の欠点をよく除去する。また、かたい凝集トナーに対しては弾力的に剥離力を加えて、感光体を傷つけることなく除去する。さらに、長期間の使用によりエツジ部に多少の損傷を生じても、前記の弾性力となる圧縮歪みの復元で傷は埋められ、傷によるクリーニング不良を来たすことがない。
上記のように、本件発明は第1引用例のものとその構成が異なり、且つそれに比べて極めて顕著な効果を奏するものであつて、その進歩性を判断するに当つて、上記の構成及び効果は看過することのできない重要事項であるのに、審決はこれを看過している。
(2) 第2引用例は硝子拭きであり、本件発明の電子写真クリーニング装置とは全くその技術分野を異にする。しかも、第2引用例のものは、その用法の記載がないのに、審決は、登録実用新案第56969号(甲第5号証)及び米国特許第2060018号(甲第6号証)の一部の記載から推定して上から下に動かされるものと断定しているが、甲第5号証のものが上から下に摺り動かされるから、第2引用例も同しであると解する必然性はなく、その断定は恣意的である。
仮に第2引用例のものが、審決のいうように上から下に動かされるものとしても、別紙参考図に示すように、清掃用ゴム片9と被清掃面Gとの交角αは、クリーニング側においてπ/2より大きい関係となるが、ホルダHと被清掃面Gとの交角βはπ/2より小さく、本件発明のφ1はπ/2より大きいという条件とは逆の関係である。またゴム片9の先端は、面Gとの摩擦力によつてクリーニング側と反対側の上方に撓むことになる。従つて、本件発明の「このホルダから突出して更にクリーニング側に撓むブレードと感光体との交角θ1がθ1>φ1の関係にあるように弾性ブレードを設置した」という構成は得られない。本件発明は、この構成と前記φ1の構成との結合により、大きな効果を発揮するもので、単にブレードのクリーニング側の交角φ1だけをみて容易推考とした審決の認定は誤つている。
なお審決の挙げる甲第6号証のものは、一種のブラシであり、硬いゴム又はエボナイトで形成されたブレードを織物表面に摩擦させることによつて帯電させ、摩擦静電気による静電吸着力により粒子を吸着クリーニングするクリーニングメカニズムである。そのブレードのクリーニング側角度を直角より大きい鈍角に傾斜させたのは、静電吸着した粒子をその上部表面に収積させるためである。すなわち、甲第6号証のものと本件発明とは、その技術分野、クリーニングメカニズム、傾斜角度の目的等全てにおいて異なるものである。
(3) 電子写真装置では、感光体がクリーニング部を通過すると直ちに次の複写行程になるから、ブレードによる一回の摺擦で残留トナーを完全に除去する必要がある。そのためにこの種のクリーニング技術は非常に難しいもので、本件発明はよくその要請に応え得るものである。これに反し、第2引用例及び甲第5号証のものは手動式の硝子拭きである。硝子窓の汚れを落すには何回も拭くことが常識である。現にそれらの構造からみて一回で拭き落すことができる技術的配慮があるとは認められない。審決は、拭掃クリーニングという概念からこれらを引用したものと思われるが、本件発明とは技術課題、作用効果を全然異にするものであるから、その引用は適切でない。
(4) 以上の理由により、本件審決は、本件発明と引用例記載のもとの構造及び作用効果上の差異を看過誤認し、誤つた結論を導いた違法があり、取消されるべきものである。
第3請求の原因に対する被告の認否及び主張
1 原告の請求の原因及び主張の1ないし3は認め、4は争う。
2 原告は、本件発明にかかわるクリーニング装置は第1引用例のものと異なつて、トナーを阻止する(掻き落す)力が強く、トナー粒子がブレードの下に入ることを防ぐと主張するが、そのような効果は第2引用例の構成においても、除去されるものがトナーであるか窓ガラスの汚れであるかの点を除けば、存在する。すなわち、第2引用例のものは瓶1を手で握つて使用するものであるから、別紙参考図において、少くとも指の直径分だけG線より離さねばならず、従つてブレード9の被清掃面となす角αは図で示されたものよりも相当大きくなつているはずであり、汚れはブレード9で掻ら取られる。一般に、掻取板の先端の被清掃物との交角がπ/2より大きい方が掻取効果が大であることは常識である。π/2より小さければ、汚れを被清掃物に押付ける現象が生じる。
3 原告は、本件発明にかかるクリーニング装置はかたい凝集トナーに対して弾力的に剥離力を加えて感光体を傷つけることなく除去し、また、長期間の使用によりエツジ部に多少の損傷を生じても圧縮歪みの復元で傷が埋められ、傷によるクリーニング不良を来すことがないと主張するが、そのような効果は第2引用例において存在する。
4 弾性ブレードそのものは、第2引用例及び審決に引用の登録実用新案第56969号(甲第5号証)、米国特許第2060018号(甲第6号証)のみならず、周知のものであり、且つ、このような弾性ブレードは窓ガラスの清掃だけでなく、平滑な面であれば使用可能であつた(乙第1ないし第4号証)。また、前記甲第6号証のブラシが織地のみに用いられるものではなく、その他の用途にも用い得るものであり、また、そのブレードの摩擦静電気による静電吸着力のみを利用したクリーニングではないことは、甲第6号証全体の記載をみれば明らかである。
原告は、第2引用例の硝子拭きと本件発明にかかる電子写真クリーニング装置とは全くその技術分野を異にすると主張するが、大正10年7月に改正された特許及実用新案分類表(乙第7号証)によれば、その第43類23は「刷子及掃除具雑」とされ、乙第5号証の特許第81799号の印刷機のインキ掃除器に関する発明も、掃除具として分類され、審査されており、硝子拭きと電子写真クリーニング装置とは技術分野を異にするとはいえない。
甲第5号証のものが上から下に動かされるものであり、更に、このような、手で使用する道具は遠くの位置から近くへ引寄せながら用いられるのが日本においては通例であることを考慮すれば、第2引用例のものが上から下に動かされるものであることは明らかである。
5 原告は、第2引用例のものは、本件発明におけるように、1回で汚を落すというような技術的配慮をしているとは思われないと主張するが、第2引用例のものにおいても、ブレード9の圧接力を加減することにより1回の摺擦で汚れを完全に除去できる効果を有する。
理由
原告の請求の原因及び主張の1ないし3は、当事者間に争いがない。
そこで、審決にこれを取消すべき瑕疵があるかどうかについて判断する。
成立について争いのない甲第2号証(本願の明細書及び補正書)、第3号証(第1引用例)によれば、第1引用例は、原告の出願に係る電子写真クリーニング装置に関する特許出願公告であつて、そこには別紙第1図のように、基部をホルダに支持されたブレードの先端を感光体に接触させ、そのホルダと感光体の交角(φ1)がクリーニング側においてφ1<π/2の関係にあるようにホルダが傾斜していることが示されていること、しかしながら、上記装置においてはトナーを阻止する(掻き落す)力が弱く、往々にしてブレードの下にトナー粒子が入り込むことがあり、一個所に入り込むとブレードの全長に容易に波及することがあつて、度々ブレードを外してその先端エツジ部を清掃する必要があつたこと、本件発明は上記経験に基づき上記装置を改良したもので、トナー阻止能力が前記装置のものに比べて著しく大きく、従つてトナーがブレードの下に入り込むことが十分除去される効果を有することが認められる(被告も、一般に掻取板の先端の被清掃物との交角がπ/2より大きい方が掻取効果が大であることは常識であり、π/2より小さければ汚れを被清掃物に押付ける現象が生じると主張しているところを見れば、本件発明に係る装置のものが第1引用例の装置のものよりトナー阻止能力において秀れていることを認めているものと解される。)。
審決は、ブレードの交角がクリーニング側においてπ/2より大きいクリーニング装置は第2引用例、米国特許第2060018号明細書第6図等に示されており、公知であるから、これを第1引用例の電子写真クリーニング装置に適用して、そのホルダの交角をクリーニング側においてπ/2より大きくすることは当業者が容易になし得たことと認められるとする。
しかし、第2引用例(成立について争いのない甲第4号証)のものは硝子拭きであつて、手で持つて使用されるものであるところ、仮にそれが審決の認定するように上から下に摺り動かして使用され、従つてゴム片9(本件発明のブレードに相当すると認められる――別紙参考図参照)と被清掃硝子面とのなす角度がπ/2より大きいものと認められるとしても、まず、そのホルダ(別紙参考図におけるHの部分を指すものと認められる)と被清掃硝子面とのなす角度はπ/2より小さくなつているという点で本件発明と異なつている。さらに、そもそも手で器具を操作して硝子の汚れを清掃するにすぎない第2引用例の属する技術分野と、本件発明におけるような電子写真装置中に設置される感光体のためのトナークリーニング装置の属する技術分野とは異なるのみならず(被告は、大正10年7月に改正された特許及実用新案分類表(乙第7号証)によれば、その第43類23は「刷子及掃除具雑」とされ、乙第5号証の特許第81799号の印刷機のインキ掃除器に関する発明も、掃除具として分類され、審査されており、硝子拭きと電子写真クリーニング装置とは技術分野を異にするとはいえないと主張するが、上記分類表は特許庁の審査の便宜のために作成されたものであつて、上記表の同一分類に属するからといつて、そのことで両者の技術分野が同一であるとすることはできない。)、本件発明は、明細書及び図面の記載からみて、ホルダが、運転中感光体面に対して一定位置に固定支持されるものであることが明らかであるのに対して、第2引用例のものは随時手で持つて使用する器具である点でその構成上相違がある。しかして、第2引用例のものは元来手で持つて使用する器具であるため、その圧接力は、使用中手によつて随時任意に調節することが可能であるが、本件発明においては、ホルダが感光体に対して一定位置に固定支持されているため、運転中随時調節することは困難であると考えられることからすれば、ブレードと感光体との交角を限定し、これにより両者間の摩擦力を利用して圧接力を恒常的に増大させることによる本件発明の作用効果は格別なものがあるというべきである。
そうすると、本件発明は第2引用例のものと構成上相違するばかりでなく、その作用効果にも格別なものがあり、しかも技術分野も異なる以上、第2引用例のものに基づいて容易に発明し得たものということはできない。
審決は、米国特許第2060018号明細書(成立について争いのない甲第6号証)第6図を引いて、ブレードと被清掃面のなす角がπ/2より大きいクリーニング装置は周知であるといつているが、上記明細書の発明は、静電気を利用して被清掃面に付着する粒子を吸着してクリーニングする装置に関するもので、その第3図にはブレードと被清掃面とのなす角がπ/2に等しいものが表示されており、第6図はその変形例として、吸着した粒子がブレード上部表面に集積するようにブレードを傾斜させた構成が表示されているにすぎないものであつて、このことから、本件発明の電子写真クリーニング装置におけるブレードと被清掃面とのなす角がπ/2より大きいものが周知であるとすることはできない。被告は、更に、一般に掻取板の先端の被清掃物との交角が清掃側でπ/2より大きい方が掻取効果が大であることは常識であり、π/2より小さければ汚れを被清掃物に押付ける現象が生じると主張するが、たとえ力学上の一般論としてはそうであるとして、これを考慮に入れても、具体的な本件発明が審決の引用する上記引用例から容易に発明することができたものであるとは到底いえない。
以上のとおりであつて、本件発明が引用例から容易に発明することができたものとした審決は違法であつて取消を免れない。よつてこれを取消し、訴訟費用は敗訴の当事者である被告に負担させることとして主文のとおり判決する。
(小堀勇 高林克巳 小笠原昭夫)
<以下省略>